花の街?鴻巣!その歴史をご存知ですか?
【花の街こうのす!】として知名度をあげた”鴻巣市”
では、その歴史について考えたことはありますか?
今からさかのぼる事73年前の昭和23年。
当時米や麦・野菜を中心に生計を立てていた寺谷地区。
〔故〕竹内武之助氏がいち早くパンジーの生産を導入し、
数件の農家が花生産へ転換したのが始まりとされています。
ちなみに黄色のパンジーの花言葉は「つつましい幸せ」
その後、ワラ編み床でシネラリアの生産が始まります。 シネラリアの花言葉は「いつも快活」「喜び」
花農家さんの未来への希望が花言葉にも表れていますね。
それから2年後には当時で17軒ほどでハボタンや矢車草、
5色のトウガラシ等の生産が始まります。
本格的な車での出荷は昭和29年から開始します。
その後は、高崎線にて列車でかつぎ出し販売を行います。
一番のパンジー生産全盛期は、何といっても東京オリンピック開催
の昭和39年です。それを機に鴻巣市初の花市場が開設されます。
鴻巣市の花を【パンジー】に制定された昭和48年には、74名で
花の生産者組織「鴻巣花卉園芸組合」を発足します。
平成2年の大阪花の万博では鴻巣フラワーテリアを出展し
「花のまちこうのす」を全国にアピール!一躍有名に・・・?
次いで「オランダフロリアード92」では埼玉県とともに参加した
6色のパンジー1200株の展示が銅賞に輝きます。
それからは、皆様の知るところとなる現在の花の街こうのすへと
近づいていきます。